実は一番信じれないのは自分だという話

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こんにちは。

 

今日はこんなタイトル。

 

先日あることに気付いたのですが、

 

実は世の中で一番信じれていないものは自分自身なのではないか?

 

ということです。

 

完全に自分との対話です。

 

ではさっそくみていきましょう。

 

 

◆一番信じられないのは自分自身

 

なぜこのようなことを思ったかというと、

 

今僕はある選択を迫られていて、

 

その時に「自分で思案した道」と「他者に提案された道」というのがあったわけです。

 

実際には、幾通りかあるので2択ではないのですが、大きくは2択ということです。

 

そこで思ったのが、他者の選択肢を蹴ったときに、何ともいえない心のモヤモヤが残ったのです。

 

後悔してるのか?実はそっちがやりたかったのか?

 

 

答えはNOであるはずなのですが、

 

やはり他者の提案というのも魅力はあるわけです。

 

それは自分(僕)のことを考えてくれて着地させようとしているから。条件も悪くない。

 

よく言えば気にしてくれているから。(悪く言えば利用しようとしている)

 

ここで思ったのが、明らかに提案される前は、自分の考えを曲げるつもりはなかったのに、

 

いとも簡単に心というのは動くのだなということ。

 

つまり、よく言われる不退転の覚悟というものは、相当なものだと思います。

 

逆に言うと、覚悟というのは、並大抵ではできないので、それをやってのけることができるからこそ成功するんだなと思いました。

 

普通は口で覚悟を決めた、なんて言いますがそんなに簡単ではありません。という話。

 

 

◆なぜ自分を信じられないのか

 

ではなぜ自分のことを信じられないのか、または信じるのは難しいのかという話。

 

そのひとつに未来は読めないからというものがある気がします。

 

当然ながら確実な未来を予言することはできません。一般的には。

 

しかし覚悟というのはある程度未来を予測して、こうなりたい、こうなるんだ!という意気込みで挑みます。

 

けどやはり不安もあるのです。

 

なぜなら未来は完全に読めないから。

 

そこで他人の提案であれば、未来予測の予行練習ができます。

 

他人の提案をイメージして、客観的に進めることができるといってもいいかもしれません。

 

つまりこれの心底にあるのは、責任転嫁があるのかもしれません。

 

なぜならその構想(提案)がダメでも他人の責任にできるから。

 

この理屈は、他人が提案してきたのだからもし失敗しても自分には責任がない。

 

自分の考えは(まだ)間違っていない。

 

というように自分を守ることができます。

 

これこそが、自分を信じていない証拠なのかもしれません。

 

人間は全能ではない以上、間違うこともあります。失敗することもあります。

 

しかしそうしながら成長していくのだと思うのですが、

 

多くの場合、「自分でつもりでも他人に決めさせられている」この罠にかかってしまっているのではないかということ。

 

実際、僕自身もおそらく根底にはこの考え方があったのかもしれません。

 

これに気付いたときは非常にショックでした。

 

なぜかというとひとつは自分のことは信じてるつもりだったのに実はそうではなかったのかもしれない、もうひとつは今まで豪語してきたことは、机上の空論に近い可能性があるからです。

 

なので、まずは心底で自分を信じてあげるということがとても大切です。

 

 

◆どのようにして自分を信じるか

 

これは一種のマインドコントロールの領域ではないでしょうか。

 

まずは、いいわけは一切しないということ。

 

何があっても文句なし、自分で決めてその結果を受け入れる。

 

これこそが自分を信じる原点です。

 

もし失敗した時には大きな痛みを伴いますが、それこそが成長のあかし。

 

むしろそれをよくすることで次に成長します。

 

こんなことは当たり前すぎて、当然だろと思いますが、いざ自分がそれができているかというとできていないこともあるかもということ。

 

特に、大きな岐路に立った時にそれが鮮明に表れます。

 

今回はそれを学びました。

 

あとはウソや誤魔化しは排除する。

 

普段から嘘や誤魔化しを並べていると、最後に帳尻が合わなくなります。

 

これも非常に当たり前のことですが、

 

細かい部分では実はできてない可能性があるということ。

 

人間は本当に弱い生き物です。特に環境でそうなることが往々にしてあります。

 

これは本当に見直すきっかけになりました。

 

 

◆覚悟も練習

 

僕は今まで何度も覚悟をしてきたつもりです。

 

しかし、実はその覚悟は弱かったのかもしれません。

 

覚悟にも強弱があるように感じます。

 

つまり覚悟が上手な人とそうでない人。

 

スポーツと一緒で、練習すればきっと上手になります。

 

なぜかというと覚悟にも自分に対しての覚悟と、他人に対しての覚悟があるからです。

 

もちろん互いにリンクしていますが、他人に対しての覚悟が強くなれば、自分に対する覚悟も強くなります。

 

逆に自分に対する覚悟が強固であるほど、他人に対しての覚悟もそれ相応のものになります。

 

なので一度決めた覚悟が守れなかったとしても、落ち込まず、

 

反省して次はしっかり覚悟すればよいということです。

 

◆まとめ

 

後半よくわからなくなってしまいましたが、

 

まとめると、自分というものは、自分で思っている以上に流されやすかったり、実は信じていなかったり時に矛盾が生じることもあります。

 

そして多くの場合、人は一人では生きていけないので、

 

他者とうまく付き合っていく必要があります。

 

時に毒を飲まななくてはいけない時があるかもしれません。

 

「清濁併せ呑む」という言葉があるように、覚悟を決めて前に進むためにはすべてを呑み込む器量やその人生に命を懸ける必要があるということですね。

 

今回も最後までありがとうございました。

 

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