こんにちは。
今日はズバリお金に関する話。
なぜ人々はお金に振り回されるのかという部分を深掘りしていこうと思います。
非常に根本的で、普段は全く考えることのない領域だと思います。
わかっているようで、実は全然わかっていない、
正体不明のお金について考察していこうと思います。
ではさっそくみていきましょう。
■お金とは
まず世の中のお金というものがありますが、人によってその捉え方は異なると思います。
お金はパワーだ。
お金はツールだ。
お金は命だ。
お金が目的だ。
お金には全く興味がない。
いろいろな考え方があり、その時のタイミングや時期によってもその捉え方は異なってくるかと思います。
まず、今の資本主義社会において、生きる上でお金が必要ということは誰もが知っていることです。
つまり今のこの世の中で生きていくために必要不可欠ということです。
お金がないということはほとんど死を意味します。
なぜかというと、お金で食料や住まい、洋服など衣食住の全てにおいてお金がかかるからです。
要するに、衣食住に対して価格が付いてるということです。
価格というのは、言ってみればその価値(の値段)ということです。
なので、少なくとも生活をするうえでは絶対的にお金は必要です。
ただ、お金は稼ぐことができます。
今のこの世の中には「労働」というルールが存在していて、
そのルールに則れば、基本的には生きてくうえで必要なお金を稼ぐことができます。
どういうことかというと、例えば今の日本には労働法という法律があり、
その中で最低時給というものがあります。
つまりどんなお仕事をしても最低限のお給料は、その労働の対価として賃金が保証されているということです。
なので、普通に生きていくことはある程度法律によって守られているということです。
本来はお金に困らないような制度があるにも関わらず、世の中の人はお金に困っているという不思議な現象があるというわけです。
なぜでしょう。
■なぜお金が欲しいのか
ここがけっこう根本的な問いになると思うのですが、
今の日本の社会制度だと、普通に生きていくだけの労働の保証がされているにも関わらず、なぜ世の中の人はお金を無限に欲しがるのでしょうか。
さまざまな理由があると思います。
まずは豊さというキーワードがあります。
人間は欲深い生き物なので、生きてるともっと欲しい、もっと良くなりたい、もっと楽しみたい、もっと美味しいものが食べたい、と次から次へと欲を満たしていこうとします。
これはおそらく本能で感じるものなので制御するのが難しいです。
当然ですが、毎日美味しいものを食べたり、毎日楽しい遊びをしたり、欲しいものを買ったりするのにはお金が必要です。
欲を満たすのにはお金が必要ですが、一般的にはそのお金は「制限」があります。
制限があるというのはどういうことはというと、
お給料として決まっているので、使える限界があるということです。
例えば月給30万円だったとしたら、当たり前にその月には最大でも30万円しか使えません。
しかし欲には限りがないので、30万円で全ての欲を満たせるかというとそうはいきません。
そうなると、お金の使い道に制限がかかります。
簡単にいうと買えないものやできないことが出てくるということです。
これはほとんど必ずといっていいです。
一方で、世の中にはお金持ちというものが存在します。
使っても一生使いきれないような財産を持った人たちです。
この人たちは何を求めているかというと、自己実現欲求です。
コトやモノだけでは欲が満たされなくなり、自己の実現に対してモチベーションが上がるということです。
ここまで私も到達していないので、推測になってしまいますが、
簡単にいうとお金で買えるものにはあまり興味がなくなっているという状態だと思います。
モノやコトは全てお金を払えば手に入るわけで、いままで散々そのような経験をしてきた人たちなので、
簡単にいうと飽きてしまったということでしょう。
そこでその人たちの欲はどこへ向かうかというと、
人の役に立ちたいとか、何かを成し遂げたいなど、
お金では手に入らないような欲望を求めるようになります。
■どのようにしてお金と向き合うか
ではどのようにしてそのお金と向き合うのかという話。
お金がない人は、絶対的にお金を求めます。
一方、お金がある人はお金では買えないものを求めます。
ひとつ言えるのは、お金があって初めて議論ができるということです。
議論というと大げさですが、お金持ちの人もお金を持ったからこそそれ以外のことに興味を持ったということなので、
やはりお金は必要という結論に行き着きます。
つまりお金は必要なのです。
お金は汚いとか、お金は悪だとか言われることがあるかもですが、
本来は正義も悪もなくて、
人間には血液が必要なように、社会にはお金が必要なのです。
つまり、お金に背を向けて、違うことに興味を向けようとすること自体に無理があるということですね。
これが自然な感情です。
切っても切れないもの、それがお金の正体です。
■資本主義社会
その上で、今の世界というのは資本主義というルールの上に成り立っています。
資本主義というのは、資本が主義ということで、
お金が絶対ということです。
お金がそのまま力に相当するということです。
つまり強くなろうとしたらお金を持つことです。
現に、今の世界の覇者はアメリカですが、世界一お金を持っています。
これがいい悪いという話ではなく、そんな悠長なことを言っていたらすぐに置いていかれます。
自分は仲良くやりたかったのにと思っていても、向こうはお金が全てかもしれません。
なので私たちはお金に支配されているのかというと、もしかしたらお金に支配されているのかもしれません。
なぜならお金を持っている人が権力を持つことができるからです。
で、その物凄い力のあるお金ですが、
そんな権力にも変わる代物なので、誰もが多くを求めます。
つまりお金を稼ぐ、集めるというのはそれだけ大変なことです。
なぜかとうと誰もが簡単には手放さないからです。
お金を払うというのはその分の権力を渡してしまっているということに等しいからです。
一般庶民である私たちが、普段はそんなことはほとんど思いませんが、
例えばスーパーに行ってお会計をするときにも一緒です。
しかし上記はお金にとってのある意味、悪の一面かもしれません。
お金のもう一つの一面は、感謝です。
お金を払うことによって、相手方には喜ばれます。つまり感謝されます。
例えば外食に行ってお会計を済ませると、必ずありがとうございましたと感謝されます。
そのお店はお客さんのお会計で経営が成り立っているからです。
お客さんが来なかったら、そのお店を継続することはできません。
つまり感謝なのです。
そしてお客側も、できれば美味しいものが食べたいと思い、そういうお店を探しています。
言ってみればお互いに感謝なのです。
お金をもらうというのは単純に嬉しいことなのです。
お金というのは、権力であり手放すことは非常に危険な行為であるとともに、
お金をあげる(払う)と喜ばれて感謝されるという2つの側面があるということです。
■原点に回帰する
ではお金というのは、どのように手にして、どのように使っていけばいいのか。
言い換えるとどのようにお金と向き合っていけば幸せになるかという話です。
一度、話を戻しますと、お金というのはどこまでいってもツールです。
使って初めてその価値が発揮されるということ。
当たり前ですが、1万円札を食べても美味しくありません。
つまりお金そのものには価値がないということです。
よっぽど畑のキュウリのほうが美味しいです。
いくらお金が権力だからといって、それを使えるからこそ本領が発揮できるということです。
つまりどう使うかというのが非常に重要になってくるという話ですね。
人々は幸せになるために生まれてきています。
急に怪しい宗教染みた話になってきましたが、でも本当です。
できれば、生活は豊かな方がいいし、美味しいものを食べたいし、
趣味や遊びもたくさんしたいというのが本心でしょう。
これはつまり幸せを求めているということです。
自分自身の人生は、幸せになるために生きているのです。
もちろん普通に生きていても辛いことや大変なことはたくさんあります。
しかしそれも幸せになるための必要な役割なのです。
なぜかというと、スポーツでも自分だけ1人が圧勝では面白くありません。
取った取られたを繰り返して、そこにドラマがあるから勝った時に歓喜するほどに嬉しいのです。
そうなると何が必要かというと、
お金は人生を幸せに導くツールだという定義に則ると、
やはり人生のビジョンが必要ということになります。
なぜならどこでどのようにしてお金を使えば、人生のゴールにたどり着けるというマップが作れるからです。
そのゴールに向かってお金を集めたり(稼いだり)、使って欲を満たしていったりしながら、
人生のゴールに向かうことができるからです。
■まとめ
そうはいっても我々一般人が普通に生活するうえでは、
世界を支配するとかそんなことはできませんし、必要はありません。
では何が重要かというと、目の前の人を幸せにしたり、そのためにはまず自分が幸せになったりと、
身近なところをよくするためにお金とどのようにして向き合っていくかというのを決めていくことが重要かと思います。
最初にあげたように、やはりお金は必要です。
多いに越したことないですが、健全増やしていく必要があります。
なぜなら上であげたようにお金には良い面と悪い面が存在するからです。
使われるのではなく、あくまで使うスタンスで。
欲張りすぎず、しかし上を目指しながら。
これが健全なお金との距離だと思うのです。
今回も最後までありがとうございました。